ドラマや映画の感想を書いてみるブログ

観た韓国ドラマや映画の感想を書いてみます。誰かの参考にでもなれば…。

韓国ドラマ 私の解放日誌 (感想)

おすすめ度:人生で一度は見るべき
解放クラブ度:100%
余白と余地度:100%
原題:나의 해방일지 / My Liberation Notes (全16話)

私の解放日誌ドラマ感想クチコミ

郊外に住む家族と人を寄せ付けない1人の男性、彼らの解放とは。2022年放送のヒューマンドラマ。

あらすじ・キャスト

ソウル郊外に住む3人兄弟と両親。
長女ギジョン(イエルさん)、長男チャンヒ(イ・ミンギさん)、次女ミジョン(キム・ジウォンさん)は日々ソウルまで通勤し、恋愛や仕事のことで日々鬱屈した日々を過ごしながらも、”それなりに”暮らしていた。
父の工場で働くク氏(ソン・ソックさん)は、無口で何も語ろうとはせず、お酒ばかり飲む生活。何も変わらない日々、しかしミジョンは会社で「解放クラブ」に所属することになる。

感想

ただ素晴らしかった
傑作でしたし、毎回本当に様々なことを考えされられました。
散文的で非常に抒情的で詩的。だけどリアリティもあり、ユーモラスでもある非常に愛おしく切なく苦しいドラマです。じわじわと心に染み入るようなドラマでした。
草や汗の匂い、お風呂上りの湿度、そよぐ風、食事の匂い…そんな空気すら感じ取れるドラマで、とても引き込まれましたし、何度も涙が出ました。

個人的に考える良いドラマや映画の一つに、波紋のように静かに心に残り、長期に渡ってふとその作品について想像を巡らせたり考えさせられる作品があると思いますが、このドラマがまさにそれでした。
シーンやセリフ、演技の「余白」が半端なく、観る度にそして考える度に違う部分に気が付くような、まるでプリズムのような光を放つドラマ。
おそらく観る方それぞれが違った感想を抱くでしょうし、それこそが素晴らしい作品の証拠だと思います。

このようなドラマのジャンルは英語では”Slice of Life"と言われますが、まさに日常のある瞬間を切り取っています。この日常を演じる役者さんの演技が作品に大変な深みを持たせていて、本当に毎回しびれてしまいました。
特に今作のソン・ソックさんは色気と退廃的な危うさが常に同居していて、震えるほど良い演技をされています。
ソックさんも大好きな俳優さんですが、イ・ミンギさんも個人的にとても好きな俳優さんです。飄々としながらどこか達観しているような役柄にピッタリで非常に良かったと印象に残りました。

脚本家は「マイ・ディア・ミスター」を書かれた方です。

ゆるいネタバレありの感想と考察

 
 
 
 
 
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ソン・ソックさんインスタグラムより

いつもはここで大体ストーリーの流れなどを載せていますが、このドラマに関しては個人的に最も気になった”車”の暗喩について勝手な考察を書いてみます。(あくまでも個人の解釈です)

崇める
ミジョンがク氏に「あがめて」と言ったとき、私は彼女はなかなか傲慢な人だなあと思いました。しかし、考え直すと”無条件”で自分をただただ支え応援してほしい場合、崇めるはピッタリの言葉なんだと気づきました。
愛にはそれなりのプロセスや条件が必要な反面、崇めるのは理由なんてない、自然な畏れや信仰、見返りを求めない心みたいなイメージがあります。
全体的にこのドラマは、内省や救済そして告解のような、宗教的な考えをベースにしているのではないかと思います。
「崇める」「解放クラブ」がまさにそれで、己に正直になり許しを請い、”耐えている”日々から救済を求める、そんな雰囲気もあるように思います。
深読みかもしれませんが、ミジョンの父の工場がシンクを扱っている所ですが、シンク=洗礼とも関係している気もしました。

車のメタファーと考察
ミジョンの兄チャンヒが”想像していた”のが車です。彼をサンポ市そして自らを”解放”してくれる象徴。
ロールスロイス車のボンネットの像(スピリット・オブ・エクスタシー)をチャンヒがその女神を拝んだような仕草をした時に、私は合点がいきました。
チャンヒが車を「あがめた」ところと、彼の第1話での「ドラマは車の中で起こる」というセリフがリンクしたからです。(”男女の”ドラマは〜、が正式なセリフ)

恐らく高級車の象徴というだけでなく、このボンネットのわかりやすい”像”の存在もあって、ロールスロイス車を撮影に採用したのではないかなと個人的には推測します。
視聴していてぼんやりと車が色々な場面で鍵になっているように感じていたのですが、
上述したようにチャンヒがロールスロイスを崇めた際に自分の中で繋がった気がしたので考察します。(ストーリー順ではありません)

  • 1話で車を欲しがるチャンヒ「ドラマは車の中で起こる」ですが、ドラマ=人生=車という意味だと読み取れます。
  • ク氏を探しているパク社長は部下に(クは)”あんな車”に乗らない、と言います。
    クはサンポ市のような場所で、甘んじて”生きる”わけがない人間でした。
  • 追われていたク氏、カメラなどではなく工場の”あんな車”にGPSを付けられます。
  • 普段はチャンヒの会話を”無視”しているク氏。しかし車のお願いにはなぜか(ソウルから戻ったばかりで拒否する理由は十分あったのに)聞き応じます。
    駐車場に長期間放置されたクの埃まみれの高級車、彼の”人生”がサンポにいる間に無視され、燻っていたとわかります。その車も遂に動き出します。
  • チャンヒはク氏の車を運転し、高揚感と満たされた気持ちを得ますが、やがてその幸せも消えていくのを感じます。
    チャンヒが自分に興味を持っている女性をロールスロイスで送ろうとした際、他人の車にブロックされ駐車場から出せないシーンがあります。これも結局自分のモノでないので、コントロールできないという象徴だと思います。

父による11話「他人の車だ、運転するな」12話「他人の車は乗るな」のセリフ。これは他人の人生を生きるな、見せかけの生活を送るな、という警告でしょう。
この時チャンヒは他人の施しで束の間の幸福感を得ただけだったと自覚し、ロールスロイスを”自分の人生の一部”にできなかった虚しさに既に気付いています。
父にその点をまさに見透かされ、その悔しさと恥ずかしさを感じたのではないでしょうか。
結果チャンヒはコントロールを失い、車を破損させて痛感します。
結局のところ己の「解放」は他人ではなく自らでしなければならないことがわかります。人は自分にあった車=人生を見つけ、それに乗らなければならないのです。

私の解放日誌ドラマ感想考察

  • テフンはギジュンと食事をする際、駐車場がなかなか見つかりません。
    テフンはギジュンの告白を当初断ったのですが、何かが彼の中に残っています。彼の心の迷いや葛藤が表現されているのが、”車”を止める場所を探し回ってやっと見つけたという部分だと思います。
    テフンの”人生”への方向性がやっと定まったという前向きなシーンです。
  • クはソウルに戻ることを1人静かに決めます。土埃を上げ走る破損したままのロールスロイス。ここで彼は自分の人生に再び向かい合うことを決意したことがわかります。
    ク氏は途中であの野良犬を見ます。野良犬と自分の姿を重ねているのは明確でしたが、結局あの野良犬もゲージに入れられ(車)、家(パラソル)を差し出されたものの、放棄して”行くしか”ないのでした。このゲージとパラソルの部分もサンポでのクの生活と重なります。野良犬と彼を重ねていたのはミジョンも同様で「犬を失った」「ソーセージをあげたのに」から明らかです。
    また後述する「迷い込んだ鳥」は、サンポ市にやって来たク氏ともリンクするようにも思えました。
  • クのクラブに”乳母車”で連れて来られた赤ちゃん。
    迷い込んできた鳥」は赤ちゃんがまだ”人生”を歩み始めたばかりの自由な象徴で、クが現在入っている”オリ”とは正反対の存在です。
    モジモジと赤ちゃんに別れを告げたクからは「自分のようになるな」という願いがあったようにも思えました。このシーンはユーモラスでもありましたが、非常に効いているなあとしびれました。
    またクと赤ちゃんが真正面に座る構図と哺乳瓶とお酒のグラスの対比から、ミジョンの「1歳の頃のあなたを背負いたい」のセリフとも明らかにリンクしていると思います。
  • チャンヒが仕事を辞めたとギジュンが両親にバラすのも車のシーン
  • 農作業を終えた父・母・チャンヒ。作業中に都会から来た(であろう)高級車に乗った家族の態度に苛立った彼らは、帰り道の道路で競り合います。運転する父を煽るチャンヒ。
    しかし父親の車は脱輪してしまいます。
    この事故ですがその後に続く母の死をも予感させ、車の持ち主=父の人生が”転倒”してしまうという暗示でしょう。
    自らの”人生”を過信した行動の結果、己の間違いを痛感するというシーンでもあると思います。父が後にク氏に「みんなが俺を生かしてくれていた」と気づきを語ります。
  • ソウルに戻ったクが、自分で車を運転するシーンはありません。彼は部下の運転する車で送迎されています。彼が自分の意思とは違う枠にはめられた生活を送っていることを意図していると思います。
  • 何がしたいと問うクに「家に帰りたい」と涙を浮かべる部下。クは”車”を使わず、自らの意志で電車で再び数年後のサンポへ戻ってきます。ミジョンに会えることを願って。
  • 母が亡くなった後、チャンヒは「家族が仲良くなるためには車がいる」と主張し、遂に父に反対されず自身の車をやっと手に入れるのでした。(チャンヒが結婚を考えているという希望にも繋がります)
  • 全てが上手くいきそうだったチャンヒ。ですがその後(訳あって)車も女性も手放し、現在は”自転車”を所有しています。
    しかしチャンヒは現在の身の丈の暮らしに、どこか安寧を覚えます。
  • チャンヒのサンポでの親友ドゥファンはずっとバイクを愛用しています。彼はサンポでの”暮らし”に何ら変化がないものの、そんな人生を静かに受け止めていることを示していると思います。
  • ヤクザな仕事と飲酒問題が顕著になり始め、ついにクはこの生活の破綻を感じます。クに忠実だった部下ですが、16話で車の中で自由に歌う彼の姿は彼の”解放”を意味していると考えます。
    ついにク氏は家を出て自らの足で歩き始めます。

    私の解放日誌ドラマ考察

ク氏とミジョン
最終回でク氏がどこに向かっているのかは明らかにされません。
ミジョンとの雪の日の車の話もあって、もしかするとサンポに徒歩で行こうとしていると考えられもします。一方で組織から完全に脱却することは難しいのは、あの大金からも明らかです。
しかし、彼がどこに行くのか、仕事の暗い影はどうするのかという点は最早問題ではないと考えます。彼は解放されつつあるのですから。
エレベーターが(子供によって)自分を待っていてくれていたこと、落ちなかったコイン。そんなときめきを抱いて、彼は今までの車(人生)をやっと捨て、歩きだした=気付いたのです。コインの柄が鳥なのも良いなと思いました、檻から飛び立つようでした。
コンビニで買ったアルコールではなくコインを選び、自分の将来像の可能性であった”路上の男性”を背に歩いたところで、彼がお酒からもあの生活からも決別する未来が見えます。
ミジョンとはまた数年別離となるかもしれません、だけど彼女にとっても彼にとっても、お互いはもう聖域になったのです。ミジョンは春を感じて微笑みます。
ミジョンとクの解放ですが、きっかけや刺激になったとしてもお互いが解放し合ったという訳ではないというのが非常に良いと思います。
車の話共繋がりますが、結局自分で「気付き、己を解放するしか」ないのですから。だからこその「私の」解放日誌なんだと思います。

ギジョンとテフン
彼女は素直で多弁ですが、それが問題を生み出すことが多い性格です。そんな彼女が何か小さなトラブルを起こし、第3者からの名言や気付き、関係性を得るという大きな役割を作品上担っていて、上手いなあと感じました。
このトラブルで恋愛関係に発展した2人ですが、テフンの2人の姉と娘の存在もあり、交際は順調とはいきません。
16話で茎と花が離れたバラをテフンから受け取ったギジョン。彼女の「生首を受け止める女」のエピソードも彷彿させられましたが、個人的には色々な形を”取ることもある”愛を表現しているのかと思いました。
実家に戻ったギジョンが父から「独身でもいい」や、父の老いた再婚相手(ギジョンとテフン娘を暗示)から「こんな日が来るとは」というセリフから、彼女とテフンとの結婚はまだまだ先になる予感があります。
茎のある普通のバラ=普通の結婚を望みながらも、それは(色々な事情で)叶いそうにない、しかしそれでもそのバラ(茎)を差し出す男とそれを受け止める女。ギジョンはその愛を貫こうと気付きます。

チャンヒ
本当にはちゃめちゃに良いセリフが多くて胸に残るものが多かったです。物事の本質を突いた部分や、「魂が~」と良い意味でも悪い意味でも人生で起こるミラクルのような部分に触れるものが多く、本当に素晴らしかったです。とはいえ、彼の言う「山」が何を示しているのかについては何度考えても(自分で)しっくりくる答えが見つかりませんでした。難しい。
人の流れに乗って、間違えて葬礼指導士の養成教室に入ってしまったと気付くチャンヒ。しかしその「縁」にチャンヒは自分で可笑しみを覚えます。
まさに、彼の”魂”がそこに導いたように。
小雨のような男チャンヒ、彼のような人々が世間を少しずつ良くしているような気がします。

解放とは
彼らはそれぞれの形の”解放=気づき”を得ます。そして、生きていく中では決して解放されることはないことも気づきます。(真に解放されるのは逝くとき、というのはチャンヒの16話のシーンで明らかです)
「生まれてしまったら、生きるしかない」厳しさの中にほんの数秒のときめきを見出し、それを糧に「今日はきっと良い日になる」「春になれば」と1日1日を自分の足で歩くしかない、と悟りのようなそして観ている者の背中を少し押すような静かで強いメッセージが大変心に残りました。
このドラマは視聴している我々に対し、気づき(解放)の小さなきっかけを与えてくれるようなストーリーになっています。

とにかく最終回の視聴を終えた今、よくこんなお話を考えるなあと唸るばかりです。
他の何にも例えられない、心にその情景やセリフが残る大変美しく強い作品でした。
終盤までもっとオープンエンドな結末になると予想していましたが、しっかりとポジティブでまるで讃歌のようなエンディングになっており、良い意味で期待を裏切られ、温もりを持つメッセージで大変感動しましたし、勇気づけられました。
なかなか人生で出会えるかどうかレベルの傑作だと思いますし、本当に素晴らしいドラマでした。また観返したいですし、その時々で別の気付きを得たいと、そう感じさせる作品でした。制作に関わった方に感謝したいドラマです。

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